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バレンタインデーの由来
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★バレンタインデーの由来
日本では、女性から男性へチョコレートと一緒に告白する日として親しまれているバレンタインデー。欧米では男女間だけでなく、家族や友人にカードなどを贈り合います。
バレンタインデーの起源は、古代ローマ時代に女神ユノの祝日が2月14日だったことに由来します。ユノは神の中の女王でもあり、家庭や結婚を司る神様でもあります。
2月14日の翌日からは豊年を祈願する「ルペルカリア祭」が開かれました。このお祭りは当時、離れて暮らしていたローマの男女が出会い結婚する機会でもあったようです。
そして古代ローマ時代から約800年後、ローマ帝国の皇帝クラウディウス2世は、結婚した兵士が故郷から離れ戦いに行くと士気が下がるという理由で、このお祭りを禁止し兵士が婚姻できないようにしました。
でも愛する人と一緒になりたいと思うのは、いつの時代も同じ。当時キリスト教の司祭だった『聖バレンタイン』は、兵士を内緒で結婚させていたのです。けれど、それが皇帝の知るところになり聖バレンタインは捕まり処刑されてしまいました。
その処刑された日が、2月14日。お祭りの生贄とされてしまったのです。
こうして、2月14日は『聖バレンタイン』を偲ぶ日ともなり、恋人たちの日ともなり、現在の「バレンタインデー」へと変化してきたのです。
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バレンタインの豆知識
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★バレンタインデーとは?
3世紀頃のローマ帝国時代、皇帝クラウディウス2世は愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止しました。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、若者たちを哀れみ密かに兵士を結婚させましたが捕らえられ、処刑されました。この処刑の日が2月14日です。
また、当時のローマではルペルカリア祭という豊穣を祈願する祭りがありました。この祭りは2月14日に未婚女性が自分の名前を書いた札を用意し、翌日2月15日の祭り当日に未婚男性が順に札を1枚ひいていきました。ひいた男性と札の名前の女性は、祭りのあいだパートナーとして一緒にいることを決められ、多くの恋人同士が生まれる伝統的な縁結びの行事でした。
殉教したバレンチノ司の記念日と祭なったことや、伝統的なルペルカリア祭の縁結び行事が結びつき、2月14日は「恋人たちの日」として定着していきました。
★バレンタインデーの豆知識
女性から男性に愛情の告白としてチョコレートを贈る習慣は日本独自のものです。欧米でも「Saint
Valentine's Day」はありますが、男性から贈ることは珍しいという点と、贈る物の多くがチョコレートに限定されているという点は、日本独自の習慣です。欧米では女性から男性に限らず、男性から女性へプレゼントを贈るのも一般的です。贈り物も花やケーキ、カードなど様々です。
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バレンタインは何の日?
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★バレンタインは何の日?
バレンタインというのは正しくは「St
Valentines Day(聖バレンタインの日)」。3世紀頃、ローマに実在したキリスト教の司教バレンチノ(バレンタイン)を指しています。バレンタインデーが恋人たちの日とされたのは、このバレンチノが処刑されて殉教者となった命日と、もともと2月14日と15日に行われたローマの恋人たちの祭りとが意図的に合わせられたと考えられています。
バレンチノが生きていた頃は、ローマでまだ新興宗教だったキリスト教は迫害されていました。そんな中で時の皇帝クラウディウス2世は、若者に結婚を禁じました。それは結婚すれば愛する妻や家族と別れ難くなったり、戦争に出ても気がかりになることで兵士の士気が落ちるという考えからでした。
バレンチノ司教はそのような若者たちを憐れに思い、内密に結婚させていました。そのことが皇帝の知るところとなり、ローマの宗教に改宗するようにとの要請も彼は拒否し、とうとう逮捕されてしまいます。
その時彼を取り調べたアステリオという判事には、目の見えない娘がいました。この娘とバレンチノは密かに心を通じ合わせるようになり、彼の祈りのおかげで娘は目が見えるようになりました。アステリオは喜び、一家そろってキリスト教に改宗してしまいました。
時の政策に違反したこのような行為のために、バレンチノは西暦270年、2月14日に処刑されてしまいました。彼は死ぬ前に「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。これはバレンタインカードの始まりで、今でも欧米の人はバレンタインカードに「From
Your Valentine(あなたのバレンタインより)」や「To
Be My Valentine(私のバレンタインになって)」などと書きます。
また、ローマでは2月15日に豊饒の神の祭り「ルペルカーリア」というものがありました。これは、祭りの前日の2月14日に女性が自分の名前を書いたくじを用意し、翌日の祭り当日、男性が順にくじをひいてゆき、あたった者同士が祭りの間、或いはその後しばらく恋人同士になるという縁結びの祭りでした。
バレンチノの死後、ローマではキリスト教が勢力を増し、その祭りの風紀の乱れを心配した司教たちが、ちょうど同じ頃の2月14日に殉教したバレンチノ司祭の記念日をこの日と定め、くじに聖人の名前を書き、当たった人は一年間心の中で聖人に仕える、といった祭りに変えてしまったということです。
それが時代とともに変遷し、恋人たちの愛を成就させようとしたバレンチノ司祭の行いやルペルカーリア祭りの縁結びの意味などが結びつき、2月14日は恋人たちの記念日として定着していきました。
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バレンタインの歴史
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◎バレンタインの歴史より
★チョコを贈る習慣は製菓会社の努力から?
日本での歴史は比較的浅く、昭和11年、関西の製菓会社が初めて外国人向けにバレンタインチョコレートの広告を出しました。
その後、昭和33年に東京の製菓会社が初めてデパートでバレンタインフェアを開催しました。が、馴染みのない習慣のため、総売上はなんと170円だったそうです。
それでもあきらめず、チョコレートをハート型にする、「女性から男性に」という提案をする、など試行錯誤を続け、製菓業界全体の積極的な参入と売り出しが功を奏して、70年代頃のティーンエイジャーを中心として、可愛い告白の習慣として徐々に広まってゆきました。
この頃はチョコレート単価は安かったのですが、ほとんどが本命、直接渡したり、自分の名を証さずにそっとロッカーにしのばせる、といったロマンチックなものでした。
80年代になり、ベルギー製などの高級プラリネチョコレートが日本に参入、製菓会社が揃ってデザイン製の高いチョコレートギフトを販売、チョコ以外の紳士物ギフト企画など、バレンタイン商戦は白熱していきました。
また、日本独特の義理チョコやお返しのホワイトデーという文化も定着しました。欧米では、男性がバレンタインプレゼントをしても、女性はお礼にキスを返すくらいだそうです。
日本では、今となっては女性からバレンタインチョコをもらっても本気にする男性は少数で、普段お世話になった人に贈る軽いギフトとしての考え方が主流となってきました。
ちょっと寂しい気もしますが、それは悪いことばかりでなく、女性の支持を受けられた幸運な男性と受けられなかった男性という優劣付けを緩和し、いただいたものにはお礼を、という日本人らしい心配りといえるかもしれません。
欧米では恋人たちの記念日として、この日はお互いチョコレートも含むお菓子やお花をはじめとするプレゼントを贈り合ったり、恋人同士は思い思いのデートを楽しみ、夫婦はこの日は子供をベビーシッターに預けて恋人時代に返って二人の楽しい時を過ごすそうです。
また、「シークレット アドミラー」といって男女関係なく自分の名前を伏せた告白カードを相手に届けてもらって、相手はカードをくれた人が誰なのか友人に聞いてまわり、想像を巡らせる、といった告白ゲームなどのイベントをします。カードの差出人はたいてい想像がつくことが多く、カップルが成立することもあるそうです。
アメリカの大学では、バレンタインの時期になると「メッセージ請け負います」のブースが学生で運営され、お金を払うとスタッフが意中の人に匿名のメッセージを伝えてくれるサービスを行うそうです。また幼稚園の子ども達の間で、先生が配達人になってメッセージ交換ゲームをしたりするそうです。
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